
現在の渋谷駅東口のバスターミナルのところには18世紀末より「宮益水車」が設置されており、明治初期にはこの水車の利益金で現在再開発中の東急文化会館の敷地にあった「渋谷小学校」の運営をしていたそうです。(なお、渋谷駅は今よりも南寄り、埼京線ホームのある辺りにあった)
暗渠が地上に出るところには「稲荷橋」が架かっています。
現在国道246号線が通っている敷地に、かつて橋の名前の由来となった「川端稲荷(田中稲荷)」があって、銀杏などの木々が生い茂っていました。
大正期、境内の鬱蒼たる大木が渋谷川の流れに影を落としていた。「川端稲荷」の名にふさわしい、水辺の社であった。殊に夏は涼しいから、鳥居の傍の茶店で氷を売っていて、。荷車曳きや金魚売りが休んでいる姿が見られた。
大正期には川を跨いだ「川上家屋」が何軒か建っていたそうです。