渋谷川(隠田川)
(俗称:キャット・ストリート)



キャットストリートの愛称で親しまれる旧渋谷川遊歩道路。
この写真はちょうど、村落の中央に位置した「穏田橋」のあたりから北東を望んでいる。奥に表参道の緑が見える。

江戸時代の穏田は、村の中央を流れる渋谷川(穏田川)に水車がかけられ、稲作が行われる田園地帯であった。
ただし渋谷川は沼のある低地を流れているために水田の灌漑には使うことが出来ず、村人は現在の明治神宮境内にある南池の水を山手線の下を東流させて水田に引き入れていた。
川筋には、米の賃つきをする水車稼業の小屋が点在していた。

一方で東寄りの台地上には松平安芸守(浅野)、戸田長門守、水野石見守などの武家屋敷もおかれていた。
明治以降には特に軍人が屋敷をかまえたことで知られ、帝国陸軍大将も務めた元勲・大山巌の邸宅もこの地にあった。

稲作も行われていた穏田であるが明治時代以降には急速に市街化が進行、この地の水田は、明治42年頃には姿を消した。

穏田の地名は1965年(昭和40年)の住居表示の施行によって消滅したが、商店街の名称「穏田商店会」や、渋谷区の施設「神宮前穏田区民会館」などにその名を残している。


かつては穏田川と呼ばれ、水車を回していた渋谷川ですが、昭和39年に行われた「東京オリンピック」の際、『渋谷川まるごと下水道』(暗渠)となりました。
しかし、暗渠上の利用については特に定めなかったため、細長い道はまたたくまに路上駐車場と化しました。
昭和42年3月、渋谷区は「遊び場対策」の一環として、蓋上部分を東京都より借り受け、車止め・遊具・植栽を配置し、「遊歩道」として地域に開放いたしました。
▽平成8年3月、遊歩道整備を行い、緊急車両・地元住民のための道路として区道認定、現在にいたっています。




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