穏田という街
「穏田」は現在の神宮前1丁目、4丁目、5丁目、6丁目にわたる地域を指す地名で、江戸時代直前ごろから見られる、古い地名です。
鎮守は | 第六天社(現在の穏田神社)。 江戸時代の穏田は、村の中央を流れる渋谷川に水車(葛飾北斎:富岳三十六景「隠田の水車」)がかけられ、のどかな田園地帯がひろがっていました。また、「松平安藝守(浅野)」「戸田長門守」「水野石見守」などの武家屋敷もおかれていました。< |
発展 | 村が急速に市街化したのは明治に入ってからのことです。特に軍人が屋敷をかまえました。 日露戦争で有名な大山巌元帥の邸宅もここに在り、徳富蘆花の小説「不如帰」の題材となったことは有名で、その徳富蘆花は表参道の反対側に住居がありました。 |
町名の成立 | 昭和7年、豊多摩郡千駄ヶ谷村大字穏田字赤羽根・前田が穏田1丁目、字穏田が穏田 2丁目、字源氏山・大原が穏田3丁目となって『穏田』という町が成立。 |
現在の地名 | 昭和40年、住居表示実施により『原宿』と合わせて渋谷区神宮前となりました。 現在、旧穏田町会は「穏田町会」「穏田表参道町会」「原宿九重町会」の三町会にわかれ、それぞれ独自の活動を行っています。 |