穏田神社は、渋谷区神宮前にある神社です。
【歴史】 穏田神社の創建年代は不詳。隠田村の鎮守社でした。旧穏田一円の産土神。 旧渋谷区穏田は、天正年間(一五七三-八五)においては荒涼たる環境であったそうです。 ●天正18年(1590年)徳川家康が関東の領主となり、天正10年の「本能寺の変」に際して武功をたてた伊賀衆が、1591年(天正19年)穏田の地を給地与えられたことから、祭祀が盛んに行われるようになったという説があります。 ●江戸時代には別当を日蓮宗の妙円寺が勤め、第六天社と呼ばれていました。 ●明治維新の神仏分離によって廃寺となり、社号を「隠田」から「穏田」に改め、穏田神社と改められた。 祭神を天神第六代の淤母陀琉神(おもだるのかみ)・阿夜訶志古泥神(あやかしこねのかみ)としました。 ●1985年(明治18年)に穏田村 84番地にあった熊野神社を合祀(ごうし)しました。(相殿の櫛御食野神)。 熊野神社は元広島藩主松平安藝守光晟公室自昌院が再建し たと伝えられています。 ●明治44年社殿・神楽殿・手水舎・社務所・鳥居・石段を新築または改造する。 当時、社殿、神楽殿、水舎、社務所等は百数十年を経た古色蒼然たる茅葺きの建物であったといわれています。 ●大正14年、穏田消防組が中心となって、境内整備を行い、狛犬を奉納しました。 ●昭和天皇御大典の記念事業として、社殿の増改築、屋根の葺替、神楽殿、水舎の改築、社務所、神輿庫の新築等を行い、神社施設を完備しました。 ●昭和3年9月25日社格申請をし、同年11月2日に村社に昇格しました。 (千駄ヶ谷には村社八幡神社があり、原宿には村社熊野神社がありましたが、穏田神社のみは無格社だったため) ●それ以後、神事は多忙になり、例大祭には社頭は神賑し、参拝の方々が大変多くなりました。 ●昭和20年5月25日の米軍の無差別爆撃のため神輿庫を除きすべて焼失。 ●戦後、社殿・末社稲荷神社・神楽殿・手水合が完成。その後、社務許も建設され、境内も整備された。 ●昭和31年、氏子崇敬者の寄進により拝殿・水舎が再建されました。 ●平成10年、全面改築。境内末社稲荷神社再建。 【ご利益】 「縁結び」「技術や芸の上達」「美容」 【祭神】 淤母陀琉神(おもたるみのかみ) 阿夜訶志古泥神(あやかしこねのかみ) 櫛御倉野神(くしみけぬのかみ) 【所在地】 〒150-0001 東京都渋谷区神宮前5丁目26-6 ℡03-3407-7036 【アクセス】 JR山手線「渋谷駅」13出口より、徒歩6分 JR山手線「原宿駅」より、徒歩10分 営団千代田線「明治神宮前駅」7出口より徒歩7分 都バス・「渋谷駅」東口より池袋東口、早大正門行「神宮前6丁目」下車 徒歩3分 表参道駅A1出口から徒歩約10分 【例祭】 9月9日(現在は9月9日に近い土、日曜日) 【宮神輿】 当神社の宮神輿は製作者不詳ですが大正九年制作の80年余を経た由緒あるものです。 第二次大戦の戦火にも耐え、昭和20年以降は数回の渡御が行われています。 平成15年11月に解体修復を業者に発注。 平成16年夏には大正9年作成時への復元を完成し、9月の例祭には渡御が予定されています。 もと第六天社と呼ばれた神社としては、穏田神社の他に区内恵比寿西の恵比寿神社、台東区の榊神社、墨田区の高木神社、調布市の国領神社などがある。 いずれも、本来は第六天魔王(他化自在天)を祀っていた。仏道を妨げる魔王であるが、障碍神を篤く祀ることによって除災のみならず利益を得ることができると言われている。 神仏分離に際し、第六天の名から、記紀で天神第六代とされる淤母陀琉神(面足神)・阿夜訶志古泥神(惶根尊)を御祭神としたケースが多いようである。 |